おにぎりの歴史

紀元前6000年頃(縄文時代中期)
日本にイネが伝わったとされる。
紀元前3000〜2800年頃(縄文時代後期)
九州から西日本を中心に、東北地方まで稲作が広まる。当時は赤米が主流。のちに黒米が広まる。
紀元1世紀頃(弥生時代中期〜後期)
石川県旧鹿西町(現中能登町)で、もち米を蒸して固めて焼かれたおにぎり状のチマキ炭化米塊が発見される。
717 〜724年頃(奈良時代初期)
元明天皇の詔により日本各地の『風土記』が編纂される。そのうちのひとつ『常陸国風土記』に「握飯(にぎりいい)」の記述が残る。
794〜1185年頃(平安時代)
貴族が宴の際、蒸したもち米を握り固めた「屯食(とんじき)」と呼ばれるものを従者に振る舞った。また、防人など兵士が携帯したとされる。
1221年(鎌倉時代初期)
承久の乱で、東国(鎌倉幕府側)の武士に兵糧として梅干入りのおにぎりが配られ、これをきっかけに梅干が全国に広まったとされる。また鎌倉時代末期(1300年頃)には、うるち米が用いらるようになった。
1467〜1590年頃(戦国時代)
おにぎりは兵糧として特に重宝される。間引き菜をコメと一緒に炊いた菜飯おにぎりが主流。豊臣秀吉が天下統一後、赤米や黒米に比べ収量の多い白米が広まる。
1603〜1868年頃(江戸時代)
おにぎりが「弁当」として重宝されるようになる。五街道の整備に伴い旅人が携行食として、農民が農作業の合間に食した。アサクサノリの養殖が始まった元禄時代(1688〜1704年)に海苔巻きおにぎりが発明される。
1869年(明治2年)
山本海苔店2代目山本徳治郎が、明治天皇の京都への行幸の土産として、醤油やみりんで味を付けた海苔を開発。味付け海苔は京都を中心に広がり、近畿地方では味付け海苔がおにぎり海苔のスタンダードになる。
1885年(明治18年)
日本鉄道宇都宮駅構内で地元旅館が日本初の「駅弁」を販売。黒ゴマをまぶした梅干入りおにぎり2コとたくあん2枚が竹の皮に包んであった。
1889年(明治22年)
山形県鶴岡町(現・鶴岡市)の私立忠愛小学校で貧困児童を対象に、日本で初めて「給食」を実施。当時の献立は、おにぎり、焼き魚(塩鮭)、菜の漬物。
1957年頃(昭和32年)
三重県津市にある天ぷら定食店「千寿」が、海老の天ぷらを具にしたおにぎり「天むす」を賄い料理として考案。
1978年(昭和53年)
セブンイレブンが、パリッコフィルムを考案。パリパリ海苔の手巻きタイプおにぎりを商品化。以降、おにぎりがコンビニエンスストアの主力商品に。
2013年(平成25年)
「和食:日本人の伝統的な食文化」が、自然を尊重する日本人の心を表現したものであり、伝統的な社会慣習として世代を越えて受け継がれているとし、ユネスコ無形文化遺産に登録。
2014年(平成26年)
おにぎりの世界的認知拡大と地位向上を目指す、一般社団法人おにぎり協会設立。

 ※一般社団法人おにぎり協会調べ